読書日記
『世界の見方の転換 2』(山本義隆:著)を読んでみる。
トーマス・クーンの『コペルニクス革命』を踏まえて、『コペルニクス革命』より詳しい本。
『世界の見方の転換』は全三巻で、歴史順になっているけど、全三巻コペルニクス革命について書いているとも言える。
第三巻目はケプラーやティコ・ブラーエが主役だけど。
コペルニクスの地動説には、いろいろ疑問がある。
地動説なのにどうして周転円を使っているのか?
『世界の見方の転換』を読むと、コペルニクスは周転円の原因は地球中心説から来ていることを発見している。
それなら、太陽中心にすれば周転円はいらないとおもうのだけど・・・
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コペルニクスの理論の精度は、それ以前の理論より精確だったのだろうか?
そんなに変わらないらしい。
プトレマイオスの理論の欠点をなんとかしたいという専門家がかなりいたらしい。
だから、そういう雰囲気の時にコペルニクスの理論が出たので、一部では評価されたらしい。
コペルニクスの本が出版されたのは、コペルニクスの死後だけど、生前からコペルニクスは評価されていたそうだ。
またコペルニクスの死後に、コペルニクス理論を使った星表(「プロイセン星表」)が作られて、占星術師の人達から評判が良かったそうだ。
しかし「地球は動いていない」と考える人が大多数だったので、コペルニクスの理論は評価されながらも、ティコ・ブラーエのような折衷理論が出て来て、ティコ・ブラーエの理論の方が人気があったそうだ。
よくわからないのは周転円の扱いだ。
コペルニクス理論ではエカントは捨て去られているけど、周転円が残っている。
周転円はケプラーが捨てたとも考えることはできるけど、『プロイセン表』を書いたエラスムス・ラインホルトが捨てたとも考えることができる。
よくわからない。
『プロイセン表』は複雑な計算をして表を作っているんだけど、周転円を無視しているのだろうか?
大山誠一の「聖徳太子虚構説」批判 その1
大山誠一の「聖徳太子虚構説」は、「聖徳太子がいなかった説」ではなく、「実際の聖徳太子」は『日本書紀』に記載されているような人物とは違うという説です。
大山氏の説によると、『日本書紀』は嘘だらけそうだ。
例えば、
4 聖徳太子は政治には参加していなかった。
荒唐無稽な説ですし、話題になった割には専門家内では少数意見です。
大山誠一の説を批判するのではなく、大山氏より前に似た説を提示している人達がいるのに、「大山氏が無視していること」を批判したいと思っています。
学者なら、論文で他人の説を参考にしたなら、表記するのは義務です。
意図的に義務を怠っているなら、批判されるべきです。
大山氏が無視している人は、有名人では、推理作家の松本清張です。
講談社文庫から「清張通史」シリーズで出ています。
松本清張は古代史についてたくさんの文章を書いています。
大山氏の説は、松本清張の説のパクリと言っていいでしょう。
次は高野勉『聖徳太子暗殺論』
1985年に出た本で、松本清張の説を大胆に展開させています。
残念ながら絶版なので、復刊をして欲しいです。
「暗殺」と書いてありますが、これは「聖徳太子が殺された」という比喩であって、捏造されたと同じ意味です。
「本当の聖徳太子は違う」説です。
関裕二は『聖徳太子は蘇我入鹿である』を書いた後に、読者から高野勉の本を紹介されて読んで驚いたそうです。
次は石渡信一郎の本です。林順治が石渡氏の説を紹介しているので、林順治の読者は知っているでしょう。
また河出書房文庫から『完本 聖徳太子はいなかった』が復刊されています。
松本清張、関裕二、石渡信一郎の本を入手が簡単なので、具体的な内容は紹介しません。
しかし高野勉の本は状況が他の作家と違い過ぎるので、具体的な内容の紹介をして行きたいと思います。
映画の感想 『MONSTERZ モンスターズ』
予備知識ゼロで、レンタルで観ました。
地雷と知っててみたわけではありません(笑)。
アマゾンとかいろんな感想を見たら、非難轟々。
監督は中田秀夫。『リング』や『クロユリ団地』などが有名な大ベテラン監督。
脚本は渡辺雄介で、若いけど売れっ子らしい。
でも、この映画は酷い。
リアリティ無視、映像重視、無理やり人情ドラマにしている。
それなら一時間以内で終わる作品にして欲しかった。
あまりにつまらなくて最後まで観るのが苦痛でした。
超能力者の設定がいい加減杉!!!!
藤原竜也演じる超能力者は、眼を見せることで催眠術をかけることができる。
だから「仮名:超能力者A」の眼を見ていない人は催眠術にかからない。
にもかかわらず、ラジコンのように超能力者Aの眼を見ていない人でも、超能力者Aが見た人なら、自由に操作できるシーンが何度も出てくる。
松重豊演じる柴本刑事が超能力者Aを後ろから銃で威嚇するけど、鏡を利用して後ろ向きの柴本刑事を操作するシーンがある。
超能力者Aの眼から信号が出て、操作したい人間の眼が受信機の役割をしているならわかる理屈。
しかし青空マーケットや劇場や駅前などの群衆を操作するシーンがある。
これは超能力者Aは相手の眼を見なくても操作できてしまうということだ。
超能力者Aが泊まっているホテルの窓から向かい側のビルの人達が見えて、超能力者Aは向かい側の見えている人達を操作してしまう。
もちろん相手側からは超能力者Aの眼は見えない。
銀行強盗のシーンも同じ。
超能力者Aの義足は、映像的には凝っている。
でも歩くのが困難なら、義足だけでなく松葉杖を使えばいいのに、映像的にはボツなのか?
超能力者を使うたびに足が減っていく設定だから、義足は難しいはず。
途中から足ではなく、指が壊死していく何故?
超能力者Aは超能力を長年使っているにみかかわらず、誰にも超能力の存在を気づかないで暮らしてきたことになっている。
でも青空マーケットのシーンなど、白昼堂々と大勢の人に催眠術を使っている。
催眠術にかかった人達は記憶が残らない設定だけど、白昼堂々と催眠術をかければ、催眠術にかかっていない目撃者がいるだろう。
警察が無能杉。
超能力者Aの泊まっているホテルを調べだして(どうやって?)、調査している時に、超能力者Aがホテルの部屋に入ってくる。
警察は予想しなかったのだろうか?
劇場の入り口で超能力者Aを機動隊が囲む時も、超能力者Aの能力に対して、ライトだけしか使わない。
超能力者が外に出た時に遠方から狙撃すればいいと思う。
あるいは煙幕を使うとか・・・。
超能力者Aの能力を警察はわかっている設定なのだから、もっとまともな対策があるだろう。
石原さとみ演じるヒロインが・・・。
地図好きで、主人公と趣味が同じという設定が生きてこない。
超能力者Aに操作されて父親の自殺幇助させられてしまう(自殺幇助が必要な理由が不明)。
冷蔵庫から包丁を出してくるのもリアリティがないし。
超能力者Aに銃を向ける時に、どうして催眠術がかからないか不明。
その後に催眠術にかかって、螺旋状の階段(どこだよ〜)を歩く。
超能力者Aは手すりが錆びてて(偶然、錆びている!!)落ちそうになるし・・・
山田孝之演じるもう一人の超能力者・田中終一(変わった名前だ)は、不死身で再生能力が高い。
しかし再生能力が高くても傷は残ったり、残らなかったりする。
いい加減だ。
この映画は、超能力者同士の戦いを描くことが目的。
そして片方の超能力者は疎外されていて、化物扱いされている。
そして化物と呼ばれて本名を呼ばれない。
二人の超能力者は対照的に描かれる。
片方は本名で呼ばれていて、普通の人間として友達がたくさんいる。
しかし超能力者Aがもう一人の超能力者・田中終一を殺そうとする理由が不明。
嫉妬ではなく、自分の催眠術が効かない人物がいることを受け入れられないからだ。
恐怖と言い換えれることができる。
でも、田中終一は超能力者Aのことは全く知らないので、超能力者Aが襲わなければ、戦いは起こらず、この映画は全く別の作品になっていた。
超能力者Aは父親から化物扱いされていたけど、父親を殺して一人立ちをしてからは、超能力の存在を誰にも知られていないはずだから、普通に本名を呼ばれて生活していたはずだけど・・・。吉良吉影のように。
雑感 2015年5月
長い間、ブログを更新していなかった。
ツイッターばかりやっていたけど、ツイッターでは長文を書けないので、ブログは重要な気がしてきた。
歴史関係の推理を書いときたい。
あと映画の感想。
最近気になったニュースはAKBの総選挙速報(笑)。
NMB(大阪)が今年は去年よりも弱い。
NMBは上位二名が握手会が異常に強いけど、他はそれほどではない。
握手会人気は弱くても選挙が強いメンバーがAKBグループ全体の中にはいるけど、NMBにはいないみたいだ。
速報は投票期間が短いので、本番と大きく変わる場合もある。
去年も速報圏外からランク・インしたメンバーは何人かいる。
しかし過去の総選挙で経歴を見れば、速報でだいたい予想がついてしまう。
しかし誰が1位になるかはわからないし、選抜メンバーの境界線である16位近くも混戦になるだろう。
去年の総選挙選抜メンバーの内4人が今回の選挙には出ていないので、単純に考えて選抜枠が4枠空いたことになる。
その4枠に誰が入るかは予測が難しい。
韓国映画『監視者たち』の感想(ネタばれ少し有り)
香港映画のリメイク作品である『監視者たち』が韓国で大ヒットしている。
今回は主役ではないけど、2PMのジュノが出ているということで多くの日本の韓流ファンも注目している。
ちなみにジュノ演じる刑事(監視チームのメンバー)は途中で殺されてしまいます。
↓ 『天使の眼、野獣の街』の予告編
https://www.youtube.com/watch?v=wAx5aq_s9-M
この映画はリメイクであることはわかりやすくするために元映画の主役の一人サイモン・ヤムが最後のシーンにカメオ出演している(ちなみに悪役)。
『監視者たち』は『天使の眼、野獣の街』のリメイク作品なので、『天使の眼、野獣の街』(以下『天使の眼』と略します)見ている人には『監視者たち』の話の展開が全て丸分かりである。
そうすると、「リメイク作品は元の作品と何処が違うか?」ということが気になる。
『監視者たち』の方が上映時間が長いので、元の映画にないシーンがたくさんある。
また予算も『監視者たち』の方が多いので、凄い豪華である。
『天使の眼』は低予算映画の魅力があったので、『監視者たち』とは別映画と言っていいと思う。
ハリウッドが豪華リメイクした感じに近い。
また元の映画をそのままリメイクしているわけではなく、変更部分も多々ある。
『天使の眼』と違う部分を指摘したいと思います。
最初のシーンが『天使の眼』は香港トラム(市電)なのに対して『監視者』は鉄道です。
『監視者』は鉄道のシーンが多いです。
電車の中、駅構内、トンネルなど。
『天使の眼』は香港トラムが最初シーンに出ただけです。
『監視者』は主人公の女性刑事(演:ハン・ヒョジュ)の能力が高い。
主人公の女性刑事は一回観ただけで全てを記憶できます。
そして格闘技も強いのです。
でも犯人と格闘するシーンはありません(無駄な格闘能力?)。
監視途中で偶然暴行にあっている一般人を発見して、監視をほったらかして助けます。
『天使の眼』は、暴行にあっている一般人を発見しながらも、監視を優先して助けません。
『天使の眼』の主犯格(演:レオン・カーファイ)は、計画失敗した後に船場に逃げて、突入班に殺されます。
『監視者』の主犯格(演:チョン・ウソン)は、駅構内のトンネルに逃げて、トンネルの出口に待ち伏せしていた監視グループの班長(演:ソル・ギョング)に撃ち殺されます。
『監視者たち』では「SUDOKU 数独」が重要なアイテムになります。
『天使の眼』で主犯格も「SUDOKU」マニアなのですが、重要なアイテムではありません。
『監視者立ち』の犯人グループは連絡方法として「SUDOKU」を使います。
犯人グループの一人が出したゴミの中から破られた「SUDOKU」が発見されます。
他にも違うシーンや、『天使の眼』にないシーンがたくさんあります。
『天使の眼』で犯人グループが襲うのは宝石店ですが、『監視者』では銀行です。
『監視者』の主犯格(演:チョン・ウソン)はボスから指令を受けて犯人グループに指示を出すところは同じですが、喧嘩のシーンが違います。
『天使の眼』では犯人グループが倉庫で喧嘩になったけど、窓から女性の着替えのシーンが見えたので、喧嘩をやめるという台本なのに、『監視者』ではカット。
代わりに主犯格が実行犯グループから金を受け取るシーンで、一方的にやつっけるシーンになっている(テープでグルグル巻にしてしまって口を切り裂く)。
『監視者』の主犯格(演:チョン・ウソン)はボスの殺されそうになったりしますが、ボスの指示を受け入れて犯行を実行しようとします。
主犯格が犯行直前に監視グループに気づいて中止命令を出すけど、監視グループに追跡されて犯人グループは酷い目に遭います。
主犯格は怒りのあまりにボスを殺します。
『天使の眼』ではボスは料理屋の女性店主ですが、『監視者』では靴修理屋のオヤジです。
映画『脳男』をレンタルして観た感想。
映画『脳男』がレンタルしていたので、観た。
結論としては、おもしろかった。
原作は読んでないので、原作との比較はできません。
原作と大きく違うらしいという噂を聞いているけど、具体的にどこがどう違うか私は知らない。
映画『脳男』は脳男を演じる生田斗真をかっこ良く魅せるための映画と言える。
だから、これは人気ミュージシャンのPVと同じ類と言える。
でもPVと違うのは、映画に出るために俳優は真剣に肉体作りをして、演技の練習をしていたと思う。
そして撮影スタッフも生田斗真をかっこ良く撮るために、普通PVより何百倍も苦労したと思う。
でも私は生田斗真のファンではないので、松雪泰子をメインに観てしまった。
映画『脳男』は松雪泰子が主役の映画と考えていいと思う。
女性二人組の爆弾魔は必要なかったと思う。
生田斗真をかっこ良く撮るために爆弾魔は必要なのだけど、物語の必然性の理屈から言えば、存在しなくても困らない。
江口洋介演じる刑事も、松雪泰子演じるカウンセラー・鷲谷真梨子と脳男を会わすという役目しかしか必要ない。
でも脳男がテロリストの容疑者として逮捕される必要性も無かったと思う。
脳男がカウンセラー・鷲谷真梨子の患者になれば物語は始まる。
重要なのは脳男が、鷲谷真梨子の弟を殺した犯人を殺すことにある。
映画『脳男』は、脳男がカウンセラー・鷲谷真梨子を救済する物語だ。
映画では江口洋介演じる刑事の役目は、脳男と鷲谷真梨子を会わすことと、鷲谷真梨子の命を爆弾魔から救うことだった。
でも爆弾テロ事件を映画から無くして、鷲谷真梨子と脳男が爆弾魔から命を狙われることがなくなれば、江口洋介演じる刑事の役目はほとんどゼロだ。
鷲谷真梨子と一緒に脳男の過去を調べる必要性はあったのだろうか?
鷲谷真梨子一人でも調べることはできたと思うんだけど。
脳男と鷲谷真梨子は対照的な性格として描かれる。
カウンセラー・鷲谷真梨子は一生懸命に生きているけど、ドロ沼状態だ。
真剣に仕事をしても満足行く結果がでない。
そして感情が豊かなので、辛い日々を送っている。
脳男は辛いという感情が無いから、辛くない(ように見える)。
脳男は人を簡単に殺せて、罪悪感を感じ無い。
それに対して鷲谷真梨子は自分だけでなく他人が人を殺すことも禁止しようとする殺人否定論者だ。
しかも拷問も否定すると思われる。
どうな残酷なことをした人でも、精神の治療して、社会復帰すべきという思想の持ち主で、自分の弟を殺した犯人を一生懸命に治療しようとしている。
でも裏切られる。
鷲谷真梨子は全身全霊で仕事をする。
しかも母と患者のために上司に逆らう。
出世欲もなく、自分の救済ではなく他人の救済のために頑張るけど、報われない。
報われないマザー・テレサあるいは女性版デクノボー(『雨ニモ負ケズ)みたいな存在だ。
そんな女性版デクノボーを救済するのが脳男だ。
脳男は殺人マシーンなので、設定上感情がないことになっている。
実際は感情がないのではなく、感情を押し殺しているということになっている。
そして鷲谷真梨子の優しさのおかげで押し殺していた感情が復活して、恩返しをする。
この映画で必要な人物は・・・
1 カウンセラーの鷲谷真梨子
2 脳男
3 鷲谷真梨子の弟を殺した人物で、鷲谷真梨子の患者
4 鷲谷真梨子の母
結論としては、映画『脳男』は不条理な状況で苦しんでいる女性を、イケメンが救う物語だ。
それは爆弾魔の魔の手から守ることではなく、鷲谷真梨子の弟を殺した犯人を殺すことにある。
そして殺した後に鷲谷真梨子と電話で話すことにある。
だから映画の進み方としては、爆弾魔が死んだ後に、鷲谷真梨子の弟を殺した犯人を殺すシーンが来るのは変だ。
爆弾魔のシーンは妄想とすればいいけど。
脳男と鷲谷真梨子の弟を殺した犯人が刑務所の入り口で出会った後でないとリアリティが無い。
この映画は爆発シーンなどリアリティが無く、インパクト優先だけど。
刑務所の入り口で犯人と出会った後に、脳男が脱獄して、犯人の住んでいるアパートに殺しに行くというのが普通の順番。
爆弾魔と刑事と戦って全身大怪我になった後で、すぐにアパートに殺人に行くというのは無理がありすぎる。
でもお祭り騒ぎ(爆弾魔との戦い)が終わった後に大事なシーンが来るという見せ方は、観客を感動させると思ったのだろうし、演出方法としては、正解だと思う。