哲学する日記

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NASAのケプラーの伝記記事にツッコミをいれてみる。

 

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ケプラーは有名な天文学者だけど、NASAの宇宙船型の天体望遠鏡の名前でもある。

またケプラーは天文学者だけでなく、数学者としても有名だし、生真面目な占星術士でもあった。

参考『ケプラー予想』(新潮社:発行) ジョージ・G・スピーロ:著(青木薫:翻訳)

NASAの記事に天文学者のヨハネス・ケプラーの記事がある。

 

 http://dawn.jpl.nasa.gov/DawnClassrooms/1_hist_dawn/history_discovery/Exploration/fb_jupiter_mars.pdf

 

ヨハネス・ケプラーの生前、太陽系の惑星は水星、金星、地球、火星、木星、土星の6つしか知られていなかった。

ヨハネス・ケプラーは惑星と惑星の距離に注目し、未発見の星があるという仮説を立てた。

でも、その仮説を捨てて、5つの正多面体と正多面体に内接と外接する6つの球体という仮説を考えた。

そしてヨハネス・ケプラーは太陽系の惑星の数は6つしか無いという仮説を信じた。

このことは、『宇宙の神秘』という本に書いてある。

翻訳は工作舎から出ています(翻訳:大槻真一郎&岸本良彦)。

でも、捨て去った仮説は実は正しい可能性が高い。

ヨハネス・ケプラーの死後にティティウス・ボーデの法則が提唱される。

 参考

http://naojcamp.nao.ac.jp/phenomena/20110805/

 

ヨハネス・ケプラーをティティウス・ボーデの法則を考えた先駆者と見なすことができる。

NASAの文章もケプラーを偉大な先駆者と考えて書いていると思う。

でも説明不足と歴史的な説明がおかしい箇所がある。

「太陽系に惑星が6つしかない」という説と「6つの惑星以外に未発見の惑星がある」という説は両立しない。

だからヨハネス・ケプラーは片方の説を捨てた。

でもヨハネス・ケプラーは「未発見の惑星があるかもしれないという疑い」をずっと持っていたけど。

NASAの文章では、2つの説が両立しないことが書いていない。

そのことを指摘すると、ヨハネス・ケプラーの名誉に傷がつくと思ったのだろうか?

またNASAの説明にはthe classical five planetsという言葉が出てくる。

現代ではこの言葉は「地球から肉眼で見える惑星」の意味で使われたりしている。

でも歴史的には違っていた。

ティコ・ブラーエの主張を知らないと、そのことはわかりにくい。

ちなみにティコ・ブラーエは地動説ではなく天動説を主張した。

参考

http://en.wikipedia.org/wiki/File:Tychonian_system.svg

 

ティコ・ブラーエの天動説では、太陽と地球は恒星なので、恒星が2つあることになる。

でも太陽は恒星でありながら地球の周りを回る恒星でもあるという図になっているので、ややこしい。

太陽から見れば惑星は水星、金星、火星、木星、土星の5つしかないことになる。

この5つの惑星をthe classical five planetsと呼ぶ。

ティコ・ブラーエの説では、地球は惑星ではなく恒星だ。

ガリレオの宗教裁判などの時代背景を考えれば、天動説と地動説の折衷案だと言える。

実際にイエズス会によってチャイナや日本に輸入された天文学は、ティコ・ブラーエの天動説だった。

小説 『天地明察』の頃の日本人は、コペルニクスの地動説ではなく、ティコ・ブラーエの天動説しか知らなかった。

 

NASAの説明を読むと、勘違いしてしまいそうだ。

正多面体は5つしかないということは数学マニアなら知っている。

だから地球を除いた水星、金星、火星、木星、土星の5つ惑星の数と合う。

だからヨハネス・ケプラーは「正多面体の数」と「5つの惑星の数」が合うことに宇宙の神秘を感じたんだ・・と。

でも地球も惑星の数に入れないと変だ。

ヨハネス・ケプラーの本を読めば、地球を入れた6つの惑星について語っていて、「どうして太陽系に惑星が6つしかないか?」という理由について語っている。

もちろん科学的には間違った説明だけど。

 

この辺りの説明はヨハネス・ケプラーの伝記

ヨハネス・ケプラー<天文学の新たなる地平へ >』(大月書店:発行)ジェームズ・R. ヴォールケル&オーウェン・ギンガリッチ:著 (林大:翻訳)や

ケプラー疑惑<ティコ・ブラーエの死の謎と盗まれた観測記録>』ジョシュア・ギルダー&アン・リー ・ギルダー:著(山越幸江:翻訳)

・・・に詳しく書かれている。

     ★

NASAの記事の歴史的な箇所を見てみる。

最初にケプラーが火星のデータを得たティコ・ブラーエのことが書いてある。

 

Astronomers that lived after Copernicus 1 based their work on his suncentered arrangement of the planets.

Tycho Brahe, a 16 th century Danish astronomer working in Germany, spent 26 years observing the planets and making thousands of precise, systematic measurements of the planetary movements.

 

ティコ・ブラーエはScania(現在はスウェーデン領、当時はデンマーク領)で生まれ育った。

そして1576年にHven島(現在はスウェーデン領、当時はデンマーク領)観測所を作って、1597年まで観測を続けた。

だからin Germanyで仕事をしたわけではない。

1599年にティコ・ブラーエはプラハに移り、1601年に亡くなっている。

観測した年数に関しては1576年〜1601年の約26年間。

ちなみに望遠鏡ではなく、肉眼で観測した。

ケプラーと一緒に仕事をしたのは死ぬまでの最後の約2年間だけ。

参考

http://en.wikipedia.org/wiki/Tycho_Brahe 

 

Then his assistant, Johannes Kepler, applied mathematics to Brahe’s measurements in order to calculate the planets’ orbits.

When Kepler analyzed Brahe’s data, he discovered that there was an unusually large empty space between Jupiter and Mars.

The space was so large that Kepler thought there was something missing.

In 1596, he wrote, “Between Jupiter and Mars, I place a planet.” Kepler thought that there must be an undiscovered planet between the orbits of Mars and Jupiter.

 

ヨハネス・ケプラーは1596年に『宇宙の神秘』という本を出している。

“Between Jupiter and Mars, I place a planet.”は、『宇宙の神秘』の序文に少しだけ書いてあるヨハネス・ケプラーが捨てた仮説のことだと思う。

ちなみにヨハネス・ケプラーがティコ・ブラーエの元で働いたのは、『宇宙の神秘』を出版した後である(1600年の2月〜ティコ・ブラーエが死ぬ翌年の10月まで)。

そしてヨハネス・ケプラーがティコ・ブラーエの観測データを獲得したのは、ティコ・ブラーエの死後である。

そしてティコ・ブラーエの観測データを使って、有名な楕円軌道を発見した。

参考

http://en.wikipedia.org/wiki/Johannes_Kepler

              

In 1597 Kepler published his first important work, Misterium Cosmographicum (“The Cosmographic Mystery”). 

 

“The Cosmographic Mystery”(『宇宙の神秘』)が出版されたのは1596年である。

『宇宙の神秘』がヨハネス・ケプラーの元に届いたのが翌年の1597年だ。

ちなみに「惑星間に正多面体が存在する仮説」にヨハネス・ケプラーがたどり着いたのは、伝記(『ヨハネス・ケプラー<天文学の新たなる地平へ >』)によると1595年頃らしい。

 

 ★

日本語に訳されているヨハネス・ケプラーの伝記

 

ヨハネス・ケプラー<天文学の新たなる地平へ >』(大月書店:発行)

ジェームズ・R. ヴォールケル&オーウェン・ギンガリッチ:著 (林大:翻訳)

 

ケプラー疑惑<ティコ・ブラーエの死の謎と盗まれた観測記録>』

ジョシュア・ギルダー&アン・リー ・ギルダー:著(山越幸江:翻訳)

タイトルが怪しいけど、マジメな伝記。

 

ヨハネス・ケプラー<近代宇宙観の夜明け>』 (ちくま学芸文庫)

アーサー ・ケストラー:著(小尾信彌&木村博:翻訳)

 

伝記ではないけど、詳しい説明がある本は・・・

『宇宙像の変遷』(講談社学術文庫

村上陽一郎:著

宗教観を重視して説明した歴史書。

 

『それでも地球は回っている<近代以前の天文学史>』

(ベレ出版:発行)青木満:著

ティコ・ブラーエの説明が詳しい。

 

ケプラー予想』(新潮社:発行)

ジョージ・G・スピーロ:著(青木薫:翻訳)

数学の啓蒙書だけど、第一章と第二章でティコ・ブラーエとヨハネス・ケプラーの伝記が丁寧に書いてある。

 

ヨハネス・ケプラーの魅力はピタゴラス派の流れをくむ数学神秘主義であったりする。

またいい加減な占星術を批判をしながらも、マジメに占星術を求道するトンデモさにあったりもする。

 

 

 

 

 

ケプラーの仮説:アステロイド(小惑星群)

楕円軌道で有名なケプラーは、数学神秘主義者です。

ピタゴラス派の末裔と言えるかもしれません。

星と音符が関係すると考えていました。

また真面目過ぎる占い師で、客の顔色を伺って臨機応変に占ういい加減な占い師を軽蔑していました。

ケプラーは数学神秘主義者ですが、データを重視し、データに合うモデルを日夜考えていました。

ケプラーは正多面体と太陽系の惑星の数に深い関係があるという仮説を考えていました。

当時は太陽系に惑星が6つ(水金地火木土)しか知られていませんでした。

太陽系の惑星が6つというのは、数学的な構造が関係があると、ケプラーは仮定しました。

正多面体は5つで、正多面体に内接と外接する6つの球が惑星の数と同じと考えていました。

だから太陽系の惑星の数が6だけだと思っていたのです。

でも最初はケプラーも他にも惑星があるのでは推測していたのです。

↓「国立天文台

http://naojcamp.nao.ac.jp/phenomena/20110805/

 

それではケプラーはどうして、多面体説を採用したかは、『宇宙の神秘』の序文に書いてあります。

翻訳は工作舎から出ています(翻訳:大槻真一郎&岸本良彦)。

 

 

 

 

 

 

 

香港映画『深海尋人』2008年公開

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香港映画『深海尋人』を中国の動画サイトで観た。

2008年公開の作品だけど、日本では上映されていないみたいだ。

検索したら日本語での詳しい感想がいくつか見つかった。

 

与那国島の海中でのシーンがあって、1ヶ月ほど撮影したそうだ。

http://www.geocities.jp/sro_5840/angelica/movie/missing/index.html

 

与那国島には海底遺跡伝説があって、海中のシーンは映画で何度も出てくる。

映画はホラー映画で、幽霊の映画だ。

でも中途半端な怖さで、脚本がうまく練れていない気がした。

映像は綺麗で、見ていて飽きない。

でも、わかりずらい内容だ。

妄想系の話で、誰の妄想かわかりずらい。

そして、回想シーンが何度もあるので時間の前後がわかりずらい。

連想した映画は、香港のパン兄弟監督の『妄想』とロー・チーリョン監督の『カルマ』と黒沢清監督の『LOFT』。

   

『深海尋人』はツイ・ハーク作品だけど、ツイ・ハークが得意なアクション・シーンは無い。

主演は『THE EYE』の李心潔(アンジェリカ・リー)と『妄想』の梁洛施(イザベラ・リョン)。

『THE EYE』と『妄想』どちらもパン兄弟の監督作品だ。

 

『深海尋人』は精神科医である高静が妄想を見ているのに、自分が妄想を見ていることに気づかないという話。

自分が正常で周りの身近な人が狂っていると思っているけど、実は自分の幻覚だったという話。

こう書くとよくあるストーリーだと思うけど、これは前半。

後半は、妄想から目覚めるけど、二人の幽霊が本当に現れて、幽霊とのコミュニュケーションの話。

一人は亡くなった恋人で、もう一人は与那国島の海で亡くなった中国人女性。

 

ストーリーは、梁洛施演じる陳小凱と李心潔演じる高静はルーム・メイトで、陳小凱の兄陳國棟(演:郭暁冬)と高静は恋愛関係になる。

陳國棟はカメラマンで、みんなで与那国島の撮影に出かける。

しかし陳國棟は海の中で亡くなってしまって、首なし死体が発見される。

葬式で陳小凱は、高静に「死体は兄でない」と言って喧嘩になる。

 

高静の精神科医で、幽霊に悩まされている患者のサイモン(演:張震)の治療をする。

そして高静の周りでも幽霊が現れるようになる。

 

そして陳小凱も幽霊に取り憑かれたように別人のようになる。

高静は「与那国島の海で死んだ中国人女性の霊が乗り移ったのでは?」と、推測する。

 

後半は、高静は妄想から目覚めたけど、死んだ彼氏のことを忘れてしまう。

しかし死んだ彼氏は幽霊になって現れて、高静を助けてくれる。

与那国島で死んだ中国人女性の霊を供養するために高霊は亡くなった女性の父親に水槽の魚を渡す。

なぜなら高静の部屋の魚に乗り移ったから。

思い付きとしか思えない展開の連続だ。

いろんな思い付きをぶっ込み過ぎの映画だ。

 

怖いシーン 1

http://www.youtube.com/watch?v=EWxDswWbRlI

 

怖いシーン 2

 

http://www.youtube.com/watch?v=YocNJGN9k-c

 

彼氏が死んだ理由は、みんなでタイビングしていたんだけど、高静がパニックに落ちて、助けようとしたら、ナイフで彼氏を刺したから。

そして、その様子がビデオに映っていて、高静は偶然その映像を見てしまい、与那国島に行く。

そして海辺で指輪を発見して、海の中に入って行って、終わり。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ガリレオ』の外伝「内海薫 最後の事件』 感想

 「愚弄ぶ <もてあそぶ>」 「もてあそぶ」というのは、誰が誰をモテ遊んだのだろう?

普通に考えれば、上念研一(演:ユースケ・サンタマリア)が警察をモテ遊んだことになるのだろう。

暑苦しいほど正義の心が燃えていて、どうしても事実を明確にしないと気が済まない内海薫(演:柴咲コウ)は、暴走に近い形で迷宮事件を解決してしまいます。

ケイゾク』みたいなもんかな?

今回の事件のラスボスは上念・・・というと、そうでもない感じ。

上念は事件に偶然巻き込まれた被害者だったけど、そのことを逆手にとって自分を英雄にするというシナリオを考えて実行したという感じ。

だから二重構造かな?

最後は上念VS内海刑事になるけど、上念の本音を暴くというドラマとしては重要だったけど、微罪だという感じ。

上念の罪の数を数えてみよう。

1 他人のパソコンから勝手にメールを送った罪。

これが殺人予告とか爆破予告だったら大問題だけど。

2 自分が介護している人を東京に連れて行って殺してしまった罪。

死因ぬついては、被害者は元々身体が弱っていて、ホテルで泊まった時に亡くなったから、老衰と言える。

上念は死体に化粧をして、車椅子に乗せて連れ回したという感じ。

だから殺人の罪ではなく、遺体をモテ遊んだ罪ということになる。

3 他人の名前を語ってメールを出したら、殺されてしまった。

これは内海刑事も当麻刑事(演:柳楽優弥)に同じことをさせていた。

当麻刑事は、もう少しで当麻刑事が殺されるところだった。

だからこの罪は内海刑事にも当てはまる。

内海刑事の場合は、業務上過失致死未遂か?

また内海刑事が関岡刑事(演:伊武雅刀)に極秘情報を教えたことによって、情報提供の記者は殺されてしまった。

これは上念と同じ罪ではないだろうか?

これは法的な罪ではなく道徳的な罪だし、内海薫刑事や上念も殺されるとは思っていなかったので、仕方ないと言える。

 

内海刑事と上念は、協力して犯罪を解決したと言える。

上念が内海刑事を利用して解決したと言えるけど、上念の予想を遥かに超えた活躍を、内海刑事はした。

事件解決後、内海刑事は上念に怒りを感じて、上念を追い詰めた。

しかし内海刑事にも上念と同じ罪があると言える。

内海刑事は、自分が上念に利用されたことを怒ったわけではなく、利用されて死んだ人達の無念さと、上念の傲慢な正確に激しい怒りを感じた。

上念には内海刑事のような正義や犠牲の心はなく、警察に対する復讐と自分の頭の良さを見せつけようとする傲慢さだったりする。

そういう点では、二人は対照的な性格だ。

上念が内海刑事に出会ったのは偶然だけど(脚本家という神が作った必然)、他の刑事ではなく、内海刑事が長野県警に行くように操作したのは上念の作戦だ。

だから上念は内海刑事を選んだと言える。

「最初の出会い」から、上念の作戦ということにしても良かったと思う。

ラブホテルのシーンはおもしろかったけど、当麻刑事と極秘の打ち合わせをラブホテルでする必要はあったのだろうか?

喫茶店やファミレスだと盗聴されるのか?

あと最初はラブホテルしか空いてなかったから、ラブホテルに泊まるのは仕方ないけど、二度目は普通のホテルか警察の宿舎に泊まれなかったのかな?

 

また「殺人犯が長野県警の誰か?」と推測した時点で、一人ではなくチームを組んで長野県警に行くべきだったのでは?

「犯人の1人が当麻刑事か関岡刑事のどちらか?」という内海刑事の推理は正解だった。

 でももしかすると当麻刑事と関岡刑事の二人とも犯人グループだという可能性もある。

「実はラスボスは当麻刑事だった」というオチでもおもしろかった気がする。

ゲームオタクで一見頼りなさそうな若手刑事がラスボスだった!という衝撃の結末。

 

2時間ドラマだけど、飽きることなく見れた。

 人間心理を丁寧に描いていることが好感が持てる。 

伏線も活きうまくていて、脚本がよく練れていると思う。

 映像に派手さが少なく、地味というか暗い基調なのがいい。